茨木のり子さんの詩に学ぶ『自分の感受性くらい』

もう2年半ほど前の話になる。

「自分の感受性くらい自分で守ろうよ」
そう言われてはっとしている私に向かって、その人はくしゃっとした笑顔を見せてこう続けた。

「…っていう詩があってさ。まあや知ってる?」

なんて茶目っ気がある人だろうと思わずほころんでしまったのを今でもよく覚えている。

つい長居をしてしまうほどに穏やかな空気が流れているその場所が、私は本当に大好きだった。気付けばその日も時計の針は夕陽の時間をさしていた。話に夢中になってしまうのは毎回のことで、いただいた珈琲はいつも半分以上残っている。冷めきったそれをくいっと飲みほし、その足でばたばたと図書館へ向かった。そして迷うことなく手にとったのはこの一冊。

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「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

[参考文献:茨木のり子著『茨木のり子集 言の葉2』]

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私は帰りの電車の中で、この詩を、言葉を、なんどもなんども噛みしめるように読み続けた。

それからというもの、この言葉がお守りのようにぴたりと貼り付いて離れない。どんなときでも自分の感受性を守り抜く、と言うとちょっとむずかしく聞こえてしまうけれど、せめて自分の感受性を迷子にしてしまうことだけはないように。いつでも手の届く範囲に、迎えに行ける範囲に置いておく。それだって立派に「守り抜く」ことになるのだと思う。

そしてきっと、自分の感受性を守り抜くことは自分の大切な人を守ることとも同義で、もしも自分の感受性を守ることで壊れてしまう関係があるならば、それは遅かれ早かれ壊れてしまう関係なのだ。だから、ぽっけに押し込めて無理に隠したりなんかしないで、ちゃんと美しい夕陽をみせてあげたい。願うほどに世界は美しくなっていくのだということを忘れないためにも。

できることから一歩ずつ。
まずは自分を大切に、
そのあとで周りも大切に。

^^