美瑛を訪れる人の多くは「木」を見に行く。この場所もかつてはそんな名所のひとつだった。
黄金色に染まる収穫前の小麦畑。美瑛らしいとも言えるこの丘の風景に、凛と立つポプラの木が美しさを添えていたのはそう遠い昔の話ではない。
28メートルもの高さがあったポプラの木は、71年から16年にもわたり美瑛の風景を彩ってきた。そして、地面の傾斜に対して逆向きに立つその姿が首を傾け物思いに耽る哲学者のように見えることから、やがて「哲学の木」と呼ばれ親しまれるようになる。しかし、哲学の木は写真でしか見ることのできない風景へと変わってしまったのだ。
「残念だが農業を続けるうえで仕方がなかった」。所有者の男性が涙を流しながら木の伐採を決意したのは、16年2月のこと。美瑛の名が全国に広まっていくのと同時に、哲学の木にも観光客が多く訪れるようになった。地域活性化の側面から見れば観光客が増えることは決して悪いことではないが、問題になったのはそのマナー。哲学の木は私有地の中にあるが、100メートルほど離れた道路からの撮影は可能だった。しかし、「もっと近くで撮影したい」と立入禁止の看板を無視して無断で畑に入り込んでしまう人が後を絶たなかったそうだ。他にもゴミを置いて帰ってしまったり、牧草ロールにまたがったりなど、人が増えるにつれマナー違反が目立つようになってしまったのだ。
哲学の木の所有者でもあった農家の方は、ただ私有地に入られたから怒っているのではない。作物を踏み荒らされるだけではなく、外部の菌を畑に持ち込まれることで農作業に悪影響を及ぼす可能性もあるからだ。初めは近付いても美しく見えないよう、赤のスプレーで木の幹に大きな✕印をつけたのだそう。これも悩み抜いた上での苦肉の策だったのだろう。それでも改善されず15年には撮影禁止となるが、木の寿命が近付いていたこともあり翌年には伐採されることになってしまった。
雄大な山々を背景に広がる鮮やかな丘陵地帯や牧草ロールが広がるのどかな風景は美瑛の魅力のひとつだ。見るものの心を魅了するこれらの景観は、農家の方々が大切に育てている作物から作り出されている。しかし、訪れる人の振る舞い方ひとつで地元の方を悲しませ、美しい風景までをも消し去ってしまう現実があるのだということを忘れてはいけない。
「観光客はもっとマナーを守ってほしい」と涙ながらに話す農家の方の心は、声にならない木の願いと静かに重なっているように思えた。「もう誰も来ないでほしい」そんな悲しい願いに変わってしまわぬよう、訪れる側の私たちは、そこで暮らす地元の方を大切に思う気持ちを旅の持ち物に入れるよう心がけたい。
[Photo by Kazashito Nakamura]– 2017年5月 / APART JOURNALで執筆した記事より –
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